慶應義塾大学 理工学研究科 特任助教
研究キーワード:量子アニーリング / イジングマシン / 統計力学 / 微生物学 / 感染制御学
現在の職に至る経緯は他のアカデミア研究者の方々とは違い、変わっていると思います。私は、生命科学を専攻する研究科で微生物の研究をして修士課程を修了した後、生活用品メーカーに就職し、在職しながら博士課程に通う社会人ドクターを経験しました。博士号取得のタイミングで職を辞し、特任助教になりました。
社会人ドクターの道に進もうと思ったのは、民間企業での開発研究だけでなく、学術的な研究もしたいと考えたからです。学生時代からの知り合いであった慶應義塾大学 理工学部 物理情報工学科の田中宗先生にその気持ちを話してみたところ、「私のところでやってみないか」と言っていただき、量子アニーリングの研究を始めることになりました。研究領域は物理学や情報工学であり、私にとって無関係と思っていた分野のため不安も大きかったです。しかし、学術的な研究ができる環境が魅力的でしたし、もし仕事との両立ができなければやめてもいいぐらいの気持ちで飛び込みました。
仕事をしながら就業後と週末に博士課程の研究をするという生活はもちろん大変でしたが、先生のご協力のもと、企業で培ったバックキャスティングの考え方で優先順位を決めて作業を進めていくことでやり遂げました。様々なアイデアをシミュレーションで実現できる研究は予想外に相性が良く、楽しく研究を進めることができました。
その後、博士号を取得する年度のタイミングで、それまでお世話になっていた研究室で特任助教にならないかとお声がけをいただきました。学術的な研究に没頭できる環境に非常に魅力を感じた一方、キャリアの不確実性が増えるように感じ悩みました。
結局、そこはリスクを見積もることで折り合いをつけました。まず、雇用期間内で専門分野の力をつけつつ、自分の複数の専門分野を掛け合わせた自分らしい研究に挑戦することができると考えました。また年齢的にも、雇用期間終了後に次のチャレンジがまだ可能であると思いました。民間企業で5年間、多くの方と一緒に仕事をする貴重な経験をさせていただき、少し自信もつきましたので、どのような環境でも一定の貢献ができるのではないかと思えました。もう一つ、今まで博士課程を指導していただいた先生と一緒にできるということも背中を押してくれました。これまで近くで拝見していて、先生が能力も人格も兼ね備えた素晴らしい方だとわかっていたため、安心できました。着任してすぐに人間関係でつまずく心配がないとわかっているは大きかったです。
ここまでは、リスクの話をしてきましたが、最後はやはりモチベーションが決め手になりました。「5年先の自分に対してワクワクできる選択肢は?」という問いかけの答えとして、アカデミックの道に進むことに決めました。
研究の魅力のひとつとしては、世界で誰も知らないことを自分の手で明らかにできるということがあると思います。
また、私の場合は、せっかく生まれてきたのだから、何か世の中に残したと思えることをやりたいというのがありました。現在の研究は、先人たちが積み重ねてきた研究成果の上にあります。ということは、自分が行った研究もきっと積み重なっていくはずです。直接的でなくても、その積み重ねに参加できていると考えると、やはりやりがいを感じます。
私自身、アカデミア研究者を目指して博士課程に進学したわけではないですし、アカデミア研究者としてのキャリアも始まったばかりですので、「アカデミア研究者を目指す博士学生」に何かを言えるような感覚がなく、強いて言えば一緒に頑張りましょう、という感じでしょうか。
逆に、一度民間企業で働いた経験がある人としては、世の中には研究に携わることができる職業がたくさんあるということを伝えたいです。新発見を求められる職業もありますし、製品開発に携わって機能向上を求められる職業、それらの人をサポートする職業もあります。博士課程を良い機会と捉え、自分自身を振り返ることができると良いと思います。博士課程進学を考えた理由、博士課程で過ごす中で自分が楽しいと思える対象、重要だと思えること等を考えられると思います。そして、それらに向かって取り組める職業を見つけられると良いと思います。私自身も自分自身への理解が深まっていく中でキャリアの選択肢が変わっていっています。
あとは、博士過程の期間は人生の中でもう二度と味わえない貴重な期間ですので楽しんでもらえたらと思います。私は、社会人をやりながら博士課程を過ごしましたが、博士課程の研究に使えるリソースが限られていたため、十分に探求できたのかといった不安や勉強不足を痛感することが多く、もどかしさを感じていました。博士課程に100%リソースを割ける方でも同様の悩みを持つとは思いますが、学生として研究できる期間を楽しんで欲しいです。
職が確保された状態で学位取得に挑戦できるという社会人ドクターのメリットはあり、チャンスのある方はぜひ取り組んでいただければと思いますし、応援します。ただ、そのチャンスはかなり少ないと思います。私の場合もかなりレアケースでラッキーな状況でした。社会人ドクターになることを当時勤めていた企業の上長や同僚に理解していただけたことや、多様な取り組みに対して理解してくださる指導教員がいらっしゃったことなど、色々な条件が重なった結果社会人ドクターになれたのだと思っています。博士課程へ進学されていらっしゃる学生さんへのメッセージではないですが、博士課程進学を迷っている修士課程の学生さんのうち、いつか博士号を取りたいと考えている方がいらっしゃれば、躊躇せずに博士課程に進学をするのが良いのではないかと思います。