私たちが使用している除草剤が川や海に流れ出し、水生生物たちに深刻な影響を及ぼしていることをご存知でしょうか?海に到達した除草剤は、海洋生態系に必須である植物プランクトンをはじめ、連鎖的に多くの生物に影響を与えると考えられています。これらの影響の度合いを正確に評価することができれば、将来へのリスクや持続可能な使用に向けた開発に役立てることができます。
2024年2月27日にNature Communications誌に掲載された論文”Herbicide leakage into seawater impacts primary productivity and zooplankton globally (1)” では、30年にわたる世界661地点のデータを統合し、プランクトン相への影響を地球規模で評価しています。
海洋生態系とは
海洋生態系は、地球の全生態系のうち約50%を占めており (2)、生物と非生物の要素が相互作用して形成される多様な環境で構成されています。生物が二酸化炭素から有機物を生産することを「一次生産」と呼び、光合成を行う植物プランクトン (珪藻や渦鞭毛藻など) は「一次生産者」として海洋生態系の基盤を担っています。また、植物プランクトンは小さな魚や動物プランクトンに捕食され、これをさらに大きな魚や鳥、人間が摂食していくという食物連鎖の原点に位置する存在です。その中でも珪藻は地球全体の一次生産の約20%に貢献しているといわれるキープレイヤーです(3)。
このような海洋生態系は過剰な漁業、海洋汚染、気候変動、海洋酸性化などの脅威に直面しており、それによって海洋生物の生息地が破壊され、生態系のバランスが崩れる可能性があります。海洋生態系の保護と持続可能な利用は、地球の未来を守る上で極めて重要であり、海洋の状態を可能な限り正確にモニタリングする技術の開発や、全世界で課題解決に取り組む体制の構築が必要です。
今回紹介する研究では除草剤に注目し、海洋一次生産性と動物プランクトンへの影響を地球規模で評価することを目的としています。
除草剤の効果と環境への影響
除草剤は、雑草から作物を防除したり、公園やゴルフ場、庭などの環境を維持するために世界中で使われています。しかし、これらに含まれる化学物質は雨水などによって川へ流れ、最終的には海に到達することで環境へ影響を与える場合があります。たとえば主に農業で使用される化学農薬のトリアジン系除草剤のうち、アトラジンという物質には光合成を阻害する作用があり、植物だけでなく緑藻や珪藻にも影響を与えることが知られています (4)。
これら除草剤の一次生産者への影響は、動物プランクトンや小型動物を介して大型動物までも波及する可能性があり、除草剤を含む様々な農薬の使用は地球規模で影響の評価と、使用方法の検討をしていく必要があります。しかし、世界中の沿岸水域における汚染の範囲や複数の薬剤による植物プランクトン相への影響について統合されたデータが不足しているため、汚染の程度を評価することや海洋一次生産に与える影響の大きさを予測することが困難であるという課題があります。
残留除草剤により海洋一次生産が低下する
Yangらによる2024年の研究 (1) は、特にトリアジン系除草剤の影響に注目して大規模な定量化を行ない、沿岸水域における除草剤汚染の広がりと影響について議論しています。この研究では、1990年から2022年までに世界661地点で採取されたサンプルやデータをもとにプランクトン相や除草剤濃度を分析、統合し、採取地点ごとの時系列推移を植物プランクトンに及ぼす除草剤の影響を時空間的に評価しました。加えて、天然海水中のプランクトンを除草剤に暴露させることによる生育への影響についても調査しています。
その結果、植物プランクトンの一次生産性は661地点中25%の地点で5%以上、10%の地点で10%以上低下することが明らかになりました。特に珪藻の減少が生産性低下に大きく寄与していることがわかります。また、実験室環境で行った培養実験からも、除草剤存在下で珪藻が減少することが確認できました。珪藻は海洋における一次生産の大部分を占めている一方で除草剤感受性の高い種を含んでいるため、海洋中の除草剤によって一次生産量の低下が引き起こされたと考えられます。
さらに、珪藻の減少により、より大きな細胞サイズを持つ渦鞭毛藻類が増加していることが観察されました。これは海洋プランクトンのサイズの変化、すなわちコミュニティ構造の変化を意味し、食物連鎖全体にカスケード的な影響を与える可能性があります。また、農地での除草剤使用量と隣接する海域の残留物の間に相関が見られたことから、今後除草剤の使用量が増加すると沿岸水域の環境にさらに深刻な影響が出ることが予測されます。
持続可能な農業へ
この研究は、広範囲な時系列データや、実験室での実験、および生態モデリングという多面的なアプローチを組み合わせることで、海洋中の除草剤濃度の継時変化や植物プランクトンへ与える影響の評価手法を提示しています。また、珪藻のような一部の植物プランクトンが減少するような影響から生態系全体への波及についても議論しており、世界的に持続可能な農業への転換や環境に優しい除草剤の開発を進める必要性を強調しています。
特定の植物プランクトンが減少することで、それらを捕食する動物プランクトンや魚までも個体数や体サイズが減少する可能性があり、漁獲量の減少や食料供給の不安定化など漁業経済の悪化をまねくかもしれません。その一方で特定の植物プランクトンが増殖しすぎた場合 (赤潮) も、海水中の酸素濃度の低下や一部の有毒藻類による有毒物質により魚類や貝類の大量死を引き起こす可能性があります。また、海は漁業以外にも二酸化炭素を吸収して地球温暖化を軽減したり、観光資源としての役割も担っているため、海洋環境を守ることは私たちの生活の豊かさを維持するために重要といえます。
おわりに
海洋生態系は地球上で最も広大で多様な生態系の一つであり、私たちの生活に欠かせない多くの恩恵をもたらしていますが、その繊細なバランスは現在、多くの脅威にさらされています。化学肥料や農薬の使用を減らし、環境負荷が少ない方法や自然の力を借りて作物を育てる方法を模索することで、地球を守りながら豊かな生活を発展させることができるはずです。
このような除草剤汚染の現状は解決すべき環境問題であると同時に、私たちの生活様式全体を見直すきっかけにもなり得るのではないでしょうか。
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