脳は情報処理の中枢であり、心臓と並ぶ最も重要な器官です。生物の思考や行動は、脳内に存在している神経細胞が電気信号を伝えることによって引き起こされます。すなわち、神経細胞が私たちの行動や思考を支配しているのであり、神経細胞が情報処理において重要な細胞であるといえます。しかしながら、神経細胞は脳に存在する細胞のわずか20%程度にすぎません。では残りの大部分は何が占めているのでしょうか?その答えが「グリア細胞」です。本記事では、多くの人々にとって脇役的なキャラクターに見えてしまいがちなグリア細胞に焦点を当て、その奥深さを紹介します。
脳を支えるグリア細胞たち
19世紀半ばに組織染色技術が開発され、細胞を可視化できるようになると、脳内に存在している細胞の研究が進みました。その結果、脳内には神経細胞とその間を埋める”糊(のり)”のような細胞が多く存在していることが分かりました。サイズが大きく役割が明瞭である神経細胞は多くの研究者を惹きつけましたが、それ以外の細胞は組織を支えるだけの役割をもった静的な存在と考えられ、スポットライトが当たることはありませんでした。のちにこれらの細胞種につけられたグリア細胞(glial cells)という名前は、まさに”glue(糊)”という言葉に由来しているのです。
しかしながら、20世紀後半以降に研究が進展し、グリア細胞が単なる”糊”としての役割だけでなく、脳の恒常性を維持するための積極的な役割を果たす細胞であることがわかってきました。(1・2・6)
脳内の代謝を制御するアストロサイト
アストロサイトは、グリア細胞の中で最も多く存在する細胞種です。アストロサイトの日本名である“星状膠細胞“の名の通り、その細胞骨格は星型をしています。しかしながら、実際の姿は非常に複雑であり、主要な突起から無数に枝分かれした微小突起を有しています。
アストロサイトは、脳内の代謝機構を調節することで知られています。たとえば、脳内の毛細血管と血液脳関門(Blood Brain Barrier; BBB)という構造を形成し、血液中の物質を脳内に届ける役割を有しています。さらに、神経細胞が情報のやり取りをするシナプスの近傍に突起を伸ばし、シナプスから漏れ出た神経伝達物質を貯蔵・再利用します。加えて、神経細胞が を介して他の神経細胞に情報を伝達するように、アストロサイトは活発なカルシウムシグナルを通じて他のアストロサイトと連絡します。(3・6)
脳内の免疫を司るマイクログリア
皆さんは、生物の体は外界から侵入した異物を感知して組織を防御する免疫機構を備えていることをご存知でしょう。もちろんこの機構は脳にも備わっており、その役割を担うのがマイクログリアというグリア細胞です。
マイクログリアは、脳内に生じた損傷部位や死んだ細胞を感知してその場所に遊走し、貪食等によって異物の除去を行います。また、サイトカインなどの液性因子を放出して脳内の炎症応答を誘導します。こうした免疫機能のほかにも、神経細胞のシナプスを貪食するという機能も有しています。動物の発達期には、不必要なシナプスの除去により脳内の神経回路の再編が行われることが知られていますが、こうした脳の”可塑性”にマイクログリアが大きく関わっているのです。(4・6)
“跳躍伝導”を可能にするオリゴデンドロサイト
最後に紹介するのはオリゴデンドロサイトというグリア細胞です。アストロサイトやマイクログリアと比べて、オリゴデンドロサイトを扱った研究はそこまで多くなく、若干影の薄い存在ですが、なくてはならない重要な細胞種です。
神経細胞は軸索という非常に長い突起を伸ばし活動電位を伝達します。オリゴデンドロサイトは自身の突起を軸索に伸ばして巻き付き、ミエリンという絶縁の構造体を形成します。
これにより、軸索は絶縁体であるミエリンに覆われた部位と、ミエリンがなく細胞外に露出した部位(ランヴィエ絞輪)が交互に現れるような状態になります。活動電位はランヴィエ絞輪でのみ生じるため、軸索の全てを活動電位が伝わる場合と比べて伝導速度が非常に速くなります。このように活動電位が飛び飛びに生じる現象を”跳躍伝導”といい、それを可能にするのがオリゴデンドロサイトなのです。(5・6)
おわりに
本記事では、代表的なグリア細胞3種を紹介しました。元々は神経細胞の隙間を埋めるだけの脇役と考えられていたグリア細胞。しかしながら、その本当の正体は脳の恒常性を司る非常に重要な存在であり、まさに脳の”黒幕”といっても過言ではありません。私たちの思考や行動の源である神経細胞も魅力的ですが、グリア細胞の深淵なる魅力が少しでも皆さんに伝わったら幸いです。
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