ゲノム編集とは、DNAの特定の場所を狙って改変し、疾患の原因や発症メカニズムに働きかける技術です。2020年のノーベル化学賞は、「ゲノム編集手法の開発」を理由に、CRISPR-Cas9の研究を進めたエマニュエル・シャルパンティエ氏とジェニファー・ダウドナ氏へ贈られました(1)。

ただし、ゲノム編集医療のすべてが、遺伝子配列を直接、正常な配列へ戻すわけではありません。本稿では、世界初の承認例であるCRISPR-Cas9応用治療「CASGEVY(キャスジェビー)」を中心に、根本治療と商業化をめぐる動きを見ていきます。

CASGEVY:世界初のCRISPR治療薬、
その仕組みと限界

CASGEVYは、Vertex PharmaceuticalsとCRISPR Therapeuticsが共同開発したゲノム編集治療です。2023年11月、英国が鎌状赤血球症と輸血依存性βサラセミアを対象に、世界で初めて承認しました(2)。

米国では、2023年12月に鎌状赤血球症を対象として承認され、FDAが承認した初のCRISPR-Cas9治療となりました。2024年1月には、輸血依存性βサラセミアを対象とする適応も承認されています(3)(4)。

治療では、患者自身の造血幹細胞を体外へ取り出し、CRISPR-Cas9で編集してから体内へ戻します。胎児ヘモグロビンの産生を抑制するBCL11A遺伝子の調節領域を編集し、胎児ヘモグロビンを増やすことで病態を改善する仕組みです(4)(5)(6)。

CASGEVYは、両疾患の原因となる遺伝子変異そのものを修復する治療ではありません。別の遺伝子の働きを調整し、正常な成人ヘモグロビンの不足や機能異常を胎児ヘモグロビンによって補う治療です。

FDA(米国食品医薬品局) 承認時の臨床試験では、評価可能だった鎌状赤血球症患者31人のうち29人が、少なくとも12カ月連続で重い血管閉塞性発作を経験しませんでした(3)。一度の細胞投与で長期効果を目指せる点が価値とされる一方、FDAは長期の追跡調査を求めており、生涯にわたる効果を断定できる段階にはありません(3)。

また、造血幹細胞の採取、体外でのゲノム編集、化学療法による前処置、細胞の再投与、入院管理まで複数の工程を要します。EMA(European Medicines Agency:欧州医薬品庁) は、幹細胞移植と血液疾患の治療経験を持つ医師が、専門施設で実施する必要があるとしています(6)。

事業化の構造:VertexとCRISPR Therapeuticsの分担

CASGEVYの開発・製造・商業化はVertexが主導し、両社は費用と利益をVertex側60%、CRISPR Therapeutics側40%の割合で分担しています。米国での最初の承認に伴い、VertexからCRISPR Therapeuticsへ2億ドルのマイルストーンも支払われました(7)。

2025年の製品売上は1億1,600万ドルで、年間64人への投与が反映されました。同年には、鎌状赤血球症または輸血依存性βサラセミアの患者147人が、治療に向けた最初の細胞採取を受けています(8)。

投与人数はまだ少なく、商業化は初期段階にありますが、ゲノム編集医療が研究開発から実際に売上が立つ段階へ移ったことを示しています。一方、患者ごとに細胞を加工する現在の方式は大量生産が難しく、製造から入院管理までを一体として構築できるかが、普及を左右すると考えられます。

220万ドルの薬価とアクセスの論点

CASGEVYの米国における卸売取得価格は、患者1人当たり220万ドルです(9)。

高額でも、生涯にわたる輸血、薬物治療、入院、合併症への対応を減らせれば、長期的な経済価値があるとの見方があります。その一方で、効果の持続期間が確定していない段階で数億円を支払うことへの慎重論もあります。

米国のCMS(Centers for Medicare & Medicaid Services)は、鎌状赤血球症の遺伝子治療を対象に、複数州をまとめて価格割引や治療成果に基づくリベートなどの条件を製薬企業と交渉する「CGT(Cell and Gene Therapy)  Access Model」を進めています。各州が独自に成果連動型の仕組みを設計・交渉するのではなく、参加する製薬企業がCMSと合意した条件に基づく仕組みを州のメディケイド機関へ提供します。参加州には、共通のアクセス方針の実施も求められます(10)。

英国のNICE(National Institute for Health and Care Excellence:国立保健医療技術評価機構) 資料では、公示価格は1治療コース当たり165万1,000ポンドです。 NHS(National Health Service:国民保健サービス) への提供には非公開の割引を含む商業契約が適用されるため、実際の支払額は公示価格より低くなります (11)。

先端医療の商業化では、薬価を設定するだけでなく、効果をどの期間・指標で測定するのか、期待した効果が得られなかった場合に誰が費用を負担するのかまで設計する必要があります。

74億ドル市場は何を含むのか

Introspective Market Researchは、世界のゲノム編集市場を2023年時点で73億9,000万ドル、2032年には307億8,000万ドルへ拡大すると推計しています(12)。

ただし、この数字は、CASGEVYのような承認済み治療薬の売上だけを示したものではありません。CRISPR-Cas9のほか、*1TALENやZFNなどの技術、*2ex vivoとin vivo、遺伝子工学と臨床応用、契約型と企業内実施、研究機関や受託研究機関などを含む広い市場の推計です。

投資領域として評価する際には、対象となる技術・用途・実施形態・利用主体を確認し、承認済み治療薬の売上とは分けて見る必要があります。

*1TALENやZFN
狙った遺伝子を切断して編集する人工ヌクレアーゼを利用したゲノム編集技術 

*2ex vivoとin vivo
ex vivo(エクス・ビボ)は生体外(体外に取り出した組織や細胞)で行う実験や治療、in vivo(イン・ビボ)は生体内(動物や人間の体の中)で行う実験や治療。 

「根本治療」の次にある競争

現在のCASGEVYは、患者の細胞を体外で編集する「ex vivo型」の治療です。細胞採取、化学療法、専門施設での入院を伴うため、治療を受けられる患者や地域は限られます。

鎌状赤血球症の患者の多くは、サハラ以南のアフリカやインドなどに暮らしています。しかし、現在のゲノム編集治療には高額な費用と高度な医療インフラが必要です。そのため、治療を必要とする患者が多い地域ほどアクセスが難しいという格差が指摘されています(13)。

次に注目されるのが、患者の体内へ編集ツールを直接届ける「in vivo型」のゲノム編集です。実現すれば、複雑な細胞加工や移植工程を減らせる可能性があります。

一方、目的の細胞へ安全かつ効率的に届ける送達技術に加え、オフターゲット編集、標的部位で生じる意図しない変化、免疫原性、長期的な安全性への対応が課題になります。FDAも、こうしたリスクを非臨床試験や臨床試験で評価し、長期的に追跡する必要性を示しています (14)。

倫理面では、患者本人の体細胞を対象とする治療と、編集結果が将来世代へ受け継がれ得る生殖細胞系列の編集を区別して議論する必要があります。WHOは、体細胞編集、生殖細胞系列編集、遺伝するゲノム編集を対象に、国際的な監督、研究登録、違法・非倫理的研究への対応などを含むガバナンス上の勧告を示しています (15)。

現場の研究者が本当に知りたいのは、市場規模の数字よりも、手元の研究をどう前進させるかではないでしょうか。

「編集精度、送達技術、製造能力、医療制度のどこが最大のボトルネックなのか」「体外編集から体内編集への移行はどこまで現実的なのか」——ここまで踏み込んだ話は、企業の承認情報や売上情報だけでは見えてきません。この点については、次回の記事でアプローチしていきます。 

出典

  1. Nobel Prize「The Nobel Prize in Chemistry 2020」
  2. Medicines and Healthcare products Regulatory Agency「MHRA authorises world-first gene therapy that aims to cure sickle-cell disease and transfusion-dependent β-thalassemia」 
  3. FDA「FDA Approves First Gene Therapies to Treat Patients with Sickle Cell Disease」
  4. Vertex Pharmaceuticals「Vertex Announces US FDA Approval of CASGEVY for Transfusion-Dependent Beta Thalassemia」
  5. CRISPR Therapeutics「CASGEVY」
  6. European Medicines Agency「Casgevy」
  7. Vertex Pharmaceuticals/CRISPR Therapeutics「Vertex and CRISPR Therapeutics Announce US FDA Approval of CASGEVY」
  8. Vertex Pharmaceuticals「Fourth Quarter and Full Year 2025 Financial Results」
  9. U.S. Securities and Exchange Commission「Vertex Pharmaceuticals Form 8-K」
  10. Centers for Medicare & Medicaid Services「CGT(Cell and Gene Therapy Access)Model」「CGT Access Model Frequently Asked Questions」
  11. NICE「Exagamglogene autotemcel for treating transfusion-dependent beta-thalassaemia」
  12. Introspective Market Research「Genome Editing Market – Study Report & Recent Trends」
  13. Associated Press「Promising new gene therapies for sickle cell are out of reach in countries where they’re needed most」
  14. FDA「Human Gene Therapy Products Incorporating Human Genome Editing: Guidance for Industry」 
  15. World Health Organization「Human genome editing: recommendations」