要約
大手電機メーカーの研究所に入社して33年。K氏のキャリアは、プレイヤーからグループリーダー、そして部長補佐へと積み上がっていった。しかし、K氏が最終的に選んだのは、研究者として手を動かし続ける道である。
マネジメント職への道が拓けていた部長補佐時代、K氏はある”実験”を試みる。「やっぱり自分で手を動かしたい」──その想いが、10年のブランクの後に、再びプレイヤーとして研究の現場に戻る決断を後押しした。
部長に「そんなこと言われるとは思わなかった」と言われるほど、企業研究者にとって異例の選択。しかしK氏にとっては自然な帰結だった。ディープラーニングの波に追いつき、若手と肩を並べて手を動かす今、K氏は57歳で改めて確信する──研究の喜びは、自分の手で何かを生み出すプロセスそのものにある、と。
萌芽「機械いじりが好きで」
K氏が現在、シニアエキスパートとして取り組んでいるのは、「音声」という一次元信号を取り扱う研究だ。
研究への志、その原点は、大学時代より以前に遡る。東北大学工学部に入学すると、電子工学を専攻し、デジタル信号処理の研究に没頭した。学部4年生の頃から学会発表を重ね、海外の学会にも足を運ぶ機会を得た。
「機械いじりが好きで、大学は工学部に行こうっていうのは、高校かそれより前ぐらいから漠然と思っていました。工学部に入って配属されたのが非常に活発な研究室で、学会発表なども4年生のときからやっていました。そういう環境でいろいろ研究して発表して、海外の学会発表なども大学の頃に経験しました。そのような研究の経験から、研究って面白いとか、仕事でやれたらいいなっていうのは大学の頃に思うようになりました。」
研究職として働く──その志向が明確に固まったのは、大学時代だった。修士過程を修了し、1993年、大手電機メーカーに入社。予約配属制度を利用し、大学で取り組んでいたデジタル信号処理の知見を活かせる研究所の情報通信システム部門で、研究開発職としてキャリアをスタートさせた。
入社直後は、大学時代から馴染みのある画像処理や画像圧縮の研究に取り組んだ。しかしその1年後、音声合成という新しいテーマの立ち上げを任される。上司は大学の先輩でもあり、誘われるままに音声の世界へ足を踏み入れた。
「ちょうど当時、音声符号化、携帯電話などの圧縮符号化を主にやっていたのですが、加えて音声合成っていう新しいテーマを立ち上げるということでしたので、新しいことをやってみるのも面白いかなと思って。」
研究対象が変わることへの抵抗はなかった。K氏が求めていたのは、特定の研究領域そのものではなく、「自分で何かアイデアを考えて、思いついたことを試してみて、うまくいく」、そのプロセスの喜びだった。
「やっぱりとにかく、自分で何かアイデアを考えて、思いついたことを試してみて、うまくいくというプロセスが研究の楽しさで、自分なりにそういうところが面白いと思っていました。それができれば、テーマにはそれほど強いこだわりはありませんでしたし、音声は音声で面白さが分かりましたので。」
音声という一次元信号は、画像に比べて次元が低い。だからこそ、同じ計算パワーでより複雑な処理ができる。データドリブンで統計的に学習する枠組みを、1990年代という早い段階から先進的に取り組めたのも、音声という信号の特性ゆえだった。
「まだ他でやられてないアプローチでしたし、面白さを感じられるところではありましたね。」
手を動かして試す。データを集めて学習させる。その先に何が見えるか──K氏の研究者としての原点は、このシンプルな喜びにある。
軌跡「プレイヤーからリーダーへ」
入社から7年。K氏は音声合成チームのグループリーダーに就いた。チームは次第に大きくなり、自分で手を動かす時間は削られていった。
「入社して7年ぐらい経ったときに、音声合成チームのリーダーみたいなことをやるようになりました。最初は小さなグループだったので、私も手を動かす仕事ができていて、リードしながらプレイヤーもやるみたいな形で始まりました。ただ、だんだんそのチームが大きくなってきて、10人を超えるぐらいになったころには、ほとんどリーダー業にかかりきりになっていました。」
メンバーにアイデアを出し、それがうまくいってチームの成果になる──その喜びも、確かにあった。
「チームをリードしている時も、いろいろメンバーにアイデアを出して、それが上手くいってチームの成果になることはあったのですが。」
しかしそれは、自分の本当に得たい喜びではなかった。
「まあでもそれはそれで、やっぱり手を動かしたメンバーの成果だなぁと受け取るタイプだったので、自分自身の喜びにはあまり繋がりませんでした。」
リーダーとしてチームを牽引して10年が経つ頃。
内側に違和感を募らせていたK氏に言い渡されたのは、部長補佐的なポジションへの昇進だった。
逡巡「部長補佐」
部長補佐。その仕事は端的に言えば「部長宛てに飛んでくるいろんなメールの処理、部門内の事務仕事や取りまとめを片っ端からやる」ことだった。K氏の求めていた「手を動かす」仕事ではなかったが、自身の成長や達成を経験する機会には恵まれた。
「部門内の研究成果をどうやって上げていくかというところが課題であり、ミッションでもあります。その時期にいろいろやった中で、一つ身になったなと思うのは、ファシリテーションを勉強したことでした。ラボ内でのワークショップの企画や運営などは、やりがいを持って取り組めたところではありました。」
しかし、やはり喜びの質は、かつて感じていたそれとは異なっていた。
「自分で手を動かして成果が出たっていう時の喜びと、チームで出たっていうのでは…。やっぱり私は自分でやれた方が嬉しいと感じるタイプだったので。」
チームの成果は、確かに嬉しい。だが、それは自分の成果ではない。その感覚が、K氏のなかで次第に明確になっていった。
マネジメント職に進むべきか、専門職として研究を続けるべきか──その岐路に立った時、K氏は、迷った。
決断「研究者に戻してください」
部長補佐として5年半が過ぎた頃、K氏はある挑戦を決意した。通常それが許される立場ではなかったが、どうしても手を動かしたかった。「片手間でやらせてくれ」と願い出て、一人で音声合成を使った応用の実証実験を進めた。
「何も手を動かせない立場でしたが、とはいえ、何かやりたいと思って。音声合成を使った応用の小規模な実証実験みたいなものを、一人でやるから片手間でやらせてくれとお願いして、それをやったんですね。」
外部のパートナーを探し、簡単なウェブサイトを作り、音のコンテンツを作り、一般のユーザーに使ってもらう。結果的に、その実験はビジネスにつながるところまでは至らなかった。だが、K氏にとって、それは決定的な体験だった。
「やってみて、やっぱり手を動かす仕事がいいな、というのを改めて思いました。研究者に戻してくださいっていうのを、その後のタイミングでお願いしました。」
部長に申し出た時、返ってきた言葉は「そんなこと言われるとは思わなかった」だった。
10年間手を動かさなかった人間が、再びプレイヤーに戻る──それは、企業研究者のキャリアとしては異例の選択だった。部長補佐を経た後、プレイヤーに戻る選択をする人は、当時少数派だった。
「実際、私のようなポジションを経験した後っていうのは、マネージャーになったり、研究所の中のスタッフ部門に行ったり、あるいは事業部に行ったりというキャリアパスのほうが多分多かったと思うんですよね。」
だが、K氏にとって、それは自然な選択だった。手を動かして研究する──その喜びを、再び自分の手に取り戻すために。
コラム 「ディープラーニングの波」
研究者として現場に戻ったK氏を待っていたのは、技術の大転換期だった。10年間手を動かさなかった間に、世界はディープラーニングの波に呑まれていた。
「手を動かしてなかった10年間というのは、いわゆるディープラーニングなどの波がちょうど来ていて、技術が切り替わる時期でした。そういう意味では大変は大変でしたね。研究に戻ってからはもうそればっかりなので。」
技術の習得だけではなかった。文化そのものが変わっていた。
かつては、必要なものは自分で作るのが当たり前だった。だが今は、とにかくあるものを取ってきて組み合わせる。それによって、驚くほど早く試作ができる。
「若い頃までは、世の中の文化的にも技術的にも、必要なものは自分で作るという状況だったのが、今はもう全く変わってしまっていて。とにかく、あるものは取ってきて組み合わせることで、ものすごく早くプロトタイピングができるという状況になっています。」
若い研究者は、大学の頃からその文化に馴染んでいる。だが、「自分で作る」が染み付いた世代にとって、それは簡単な移行ではなかった。
「やっぱり我々は、なんか自分で作るのが染み付いてしまっていて、最初はやっぱりこう、つい自分でまず作ろうと思ってしまうみたいなところがあって。最近やっと、まず探してきて取ってくるっていうのが馴染んできたというか。」
10年のブランクを埋めるのは、容易ではなかった。だが、K氏は今、若い研究者と肩を並べて手を動かしている。音声認識という新しい領域で、再び研究の現場に立ち続けている。
結語
若手研究者がキャリア形成に備えてすべきことは何か。
K氏は自身の経験を振り返って話す。
まず、自分が何をやりたいのか、考えること。そして、それを周りに発信すること。
「やっぱり私も、研究者に戻してくれって言った時に、そんなことを考えていると思わなかったって言われたっていうことは、いつも隣にいて一緒に働いている人でも、全然、言わなきゃわからないわけですよね、何考えているかなんて。」
上司は上司で、誰をどう配置するか、さまざまな情報をもとに判断している。自分の希望を発信しておけば、それに沿ったオファーが来る可能性は高まる。逆に、何も言わなければ、思いもよらない辞令が降りてくる。
「専門職でやりたいでも、事業部を経験したいでも、マネージャーになりたいでも、やっぱり自分が何をやりたいのかっていうのを考えた上で、周りに向かって発言しておくっていうのが、いいんだろうなと思うんですよね。」
この助言は、K氏自身の経験に裏打ちされている。若い頃、自分のキャリアパスをほとんど考えてこなかった。目の前の研究に没頭し、言われた役割を引き受けてきた。その結果、10年間手を動かさない時期を経験することになった。
「若い頃はあんまりこう、真面目に自分のキャリアパスって考えてなかったなぁというふうに、振り返ると思っていて。目の前の課題を一生懸命こなしているのに精一杯というか、それはそれで楽しく充実していたので。」
企業研究者のキャリアパスは、思いのほか多様だ。だが、それらのパスがあることを、多くの若手研究者は知らない。
「(今のローテーションという仕組みが)どんなキャリアパスがあり得るのかを若手にもわかってもらうっていう意図があったと思う。そういう機会を増やしていくっていうのは重要だろうなと思います。」
自分が心の底で何を求めているのか。
それに気づき発信していくのは、言葉で言うほど簡単なものではないかもしれない。
K氏は10年かかった。
無理矢理にでも手を動かす時間を捻出して、ようやく決意が固まった。
自分が何を喜びと感じるのか、問い続け、行動し、見極めること。
向き合った分だけ、その後の喜びは大きいだろう。