要約

 中学生のときに小児科のボランティアで出会った白血病の子どもたち。治る子と治らない子がいる」という現実に衝撃を受けたことから、I氏の研究人生は始まった。大学でがん研究に取り組み、修士・博士課程を経て、フィンランドとボストンで計五年弱のポスドク生活を送った。帰国後は大学で研究コーディネーター、血液内科の助教として基礎研究に従事し、その成果を携えて大手製薬会社へ。ファーストインクラスの創薬を目指す道を歩んできた。

 しかし、その後の大手製薬会社やバイオベンチャーでの日々は、I氏にとって「逡巡」の連続でもあった。企業文化や組織のルール、リモートワーク下でのコミュニケーション、論文やデータの解釈の違いなど、研究そのものとは異なる部分で葛藤を抱える場面もあった。企業とアカデミア、大手製薬会社とベンチャー。それぞれの研究に対する考え方や温度差の狭間で、I氏は研究者としての自分を見つめ直していった。

 それでも、データを出す楽しさや、わからなかったことがわかる瞬間の根源的な喜びを失うことはなかった。企業とアカデミアの境界を行き来し、一年間の転職活動を経て、I氏が次に選んだのは、再び血液がんの創薬研究に携わる道だった。「研究が好き」という原点に立ち返りながら、I氏は新たな一歩を踏み出している。

 

萌芽「白血病の子どもたち」 

I氏が研究の世界に足を踏み入れたきっかけは、中学生のときのボランティア活動にある。小児科で出会った白血病の子どもたち。その光景が、その後のキャリアを決定づけた。

「小児科でボランティアをしていたんです。ちょうど白血病が治るようになってきたと聞いていた一方、やっぱり治らない子もいる。そのことに衝撃を受けましした。生物が好きだったこともあり、そこから白血病をはじめとした、がんの研究に興味を持ちました。」

治る子と治らない子がいる──その違いは、中学生の心に深く刻まれた。そこから、がんの研究を志すという明確な目標が生まれた。大学選びも、学部三・四年生での研究室配属も、すべてその目標に向かって進んだ。

「その後は本当に研究が好きだったので、そのまま修士と博士に進み、海外に行きたいという思いがありました。」

修士、博士と進む道は、I氏にとって自然な流れだった。研究が好きだった。データを出すことの楽しさ、わからなかったことがわかる瞬間。その魅力を、学部生のときの指導教員が教えてくれた。

「漠然としたがん研究への興味でしたが、当時の指導教官の導きで、細胞の浸潤というところに興味を持ちました。その先生には、研究の魅力を教えていただきました。今思えば、研究の世界の仕組み、厳しさも教えていただいた気がします。ただ、本当に毎日楽しかった。データを出すことの楽しさや、『これが分かると、こうなるんだ』ということを教えていただきました。」

博士課程では、データが出ないことの辛さも経験した。それでも、「わからなかったことがわかる瞬間は文脈問わず本当に面白い」と振り返る。その魅力は、その後のキャリアを通じて、I氏の中で変わらず輝き続けている。


軌跡「日本にない景色」

博士号を取得した後、I氏はフィンランドとボストンに計五年弱、ポスドクとして滞在した。海外での経験は、研究者として「働く」という現実的な視点をI氏に与えた。

「日本では研究は特別なものとの感覚がありましたが、海外に行って、研究が生活の一部であることがわかりました。研究者として働いていくっていうことを、肌で実感することができました。」

博士課程終了直後のI氏には研究環境の違いも衝撃だった。

フィンランドでは、細分化された研究体制の恩恵を受けた。器具の洗浄、清掃、試薬の調製、細胞培養、ウイルス作製、機器解析など、それぞれに専門のスタッフがいる。研究者は研究計画を立て、自身の研究に集中できる環境だった。

「研究者は研究計画を立て、自分がやるべきことに集中できる。研究者同士のディスカッションや研究テーマの勉強に多くの時間を割くことができ、とても恵まれた環境でした。」

また、働き方や、それぞれの職務に対する考え方も日本とは大きく異なっていた。勤務時間が明確で、長期休暇を前提に仕事を調整する。技師やサポートスタッフもそれぞれの仕事にやりがいを感じ、研究者との間に垣根がない。I氏は、研究だけでなく、仕事と生活のあり方についても多くを学んだ。

一方、ボストンでは、多民族国家で生きていくことの難しさや、研究をめぐる競争の厳しさにも触れた。フィンランドで学んだ「人に頼ること」の大切さと合わせ、海外での五年弱は、研究の多様な側面を知る貴重な時間となった。

帰国後、I氏は大学で、研究コーディネーターとして働き始める。海外で、研究者が論文や公開データを活用し、自分たちの研究の魅力を伝えることに長けている姿を見たことが、そのきっかけだった。

「日本では、中立的な立場で、研究者が必要としているツールや知識を伝え、横のつながりをつくる仕事がしたいと思いました。」

研究者にツールを与え、人と人をつなぎ、研究成果を大きくする仕事をする──それが、I氏の新しい挑戦だった。しかし、三年後、プロジェクト終了とともにそのポジションは無くなってしまう。

I氏は再び研究の世界へ戻ることを決めた。

大学の助教として、基礎研究に取り組んだ。血液がんの研究だった。

マウスを使った動物実験にも挑戦し、研究室メンバーの努力が実を結んで、ファーストインクラスの創薬へと発展した。その成果を携えて、I氏は大手製薬会社へ入社した。


逡巡「企業文化とアカデミアの論理」

大手製薬会社では、アカデミアでやってきたことの延長として創薬研究を続けた。しかし、会社の方針で管理部署への異動が決まり、I氏は「もう少し研究を続けたい」という思いから、創薬ベンチャーへ転職した。

創薬ベンチャーでは、スクリーニング研究が担当であった。しかし、そこでI氏が直面したのは、アカデミア、企業、ベンチャー、それぞれの論理の違いだった。

「間違っていること、矛盾を指摘しました。すると、風当たりが強くなり、環境になかなか馴染めずにいました。データの質よりも、周りに合わせて、それはそういうルールだからっていう中でやるっていうところに少し違和感を感じました。」

I氏は一人でプロジェクトを任されるようになったが、スクリーニングだけを続けることに、今後のキャリアへの不安を感じるようになった。そこで、これまでとは違う働き方を経験するため、再び転職を選んだ。

次に移ったのは、成長が期待されているバイオテック系のベンチャー企業だった。今、注目されている分野、そしてフルリモートという働き方に魅力を感じての転職だった。しかし、そこでI氏が直面したのは、これまでで最も大きな逡巡だった。

「初めて会った人とどうやって関係をフルリモートで構築し、さらにその先の仕事につなげるか、研究ではないところで、すごく悩み、今までにない経験をした1年であったなって思います。」

実験室で互いに生の結果を見ながら議論することができない。論文一つをとっても、解釈が揃わないことがある。I氏は、研究そのものだけでなく、異なる価値観を持つ人とどう協働するかという課題にも向き合った。

「論文に書いてある内容に沿ってディスカッションできない環境には疑問を感じました。一方で、考え方や文化が違う人とうまくやることも、やはり重要なのだと思います。」

この一年の経験から、I氏はベンチャー、企業、アカデミアの違いを改めて実感した。データそのものよりも、誰かが語ったデータや、ストーリーをつくるうえで重要なデータが優先されることへの違和感もあった。

「実際に手を動かさないことも多く、『データそのもの』よりも『誰かが言ったデータ』や、『ストーリーをつくるうえで重要なデータ』が優先されることに、違和感を感じました。」

アカデミアと企業、大手製薬会社とベンチャー企業。I氏は、その狭間で「研究者として見てきた世界が違う」ことを実感していた。


決断「研究ができる場所へ」

一年間の逡巡の末、I氏は決断した。三度、転職である。

「会社に入ったときから、今後のキャリアに関してずっと考えていました。がん領域のバックグラウンドを生かして、がんの専門家の方々と一緒に仕事をしたいという思いがあったのですが、なかなかそれを実現できませんでした。人と直接会う機会も減り、会社のMTGからも外され、このままでは自分の目指す方向に進めないと感じるようになりました。」

五年後、自分がその会社でどのようなポジションにいるのか。その姿をイメージできなかったことも、決断の大きな理由だった。

「5年後に、この会社で自分がどのようなポジションに就いているのかを考えたときに、まったくイメージできませんでした。そこで、次の会社に移ることを考え、転職活動を始めました。」

転職活動は、一年間続いた。最初の頃は「なぜ一年で転職するのか」という問いに答えられず、苦戦した。しかし、転職理由を前向きに捉え直すことで道が開けた。

「『周囲の人とうまく合わず、1人でプロジェクトを担当することになった』ではなく、『意見の異なる相手とも話し合いながら、プロジェクトを任されるようになった。ただ、今後はチームとして働きたいので、転職を考えている』というように、前向きに伝えることが大切なのかなと思いました。」

そして、I氏が見つけた次の場所は、血液がんの創薬研究だった。抗体や核酸といったモダリティで、がんの治療薬を開発する──それは、I氏が中学生のときから抱いてきた「がんを治したい」という思いに、再び向き合う場所だった。

 

コラム「誤解が埋まるといいな」

I氏は、大学での研究コーディネーター、助教、大手製薬会社、バイオベンチャーと、アカデミアと企業の双方で研究に携わってきた。その経験を通じて強く感じたのは、研究を前に進めるうえで重要なのは、所属や肩書きではなく、志を共有し、率直に議論できる仲間の存在だということだった。

企業の研究者も、アカデミアの研究者も、それぞれに異なる経験と強みを持っている。だからこそ、立場を越えて接点を持ち、データをもとに対等に議論できる環境が必要だとI氏は考えている。

「企業の方は素晴らしい経験を持っていますし、アカデミアの先生方も素晴らしい経験を持っています。双方がもう少し人としての接点を持てるといいなと思っています。会社のルールに沿いつつも、研究データを議論する場では、立場にかかわらず平等に意見を言える環境があるといいなと思います。」

一方で、実際には、企業とアカデミアの間に見えない壁を感じることもあったという。「アカデミア出身だから分からないだろう」「大手企業で長く働いてきた人だから」といった先入観が、対話や議論を妨げる場面もある。

「『アカデミアだから分からないでしょ』と言われることが結構あります。」

その溝を埋めるためにI氏が必要だと考えるのは、企業とアカデミアが継続的に関わり合う機会を増やすことである。企業が持つ開発力や資金、アカデミアが持つ独創的な研究シーズや専門性を持ち寄り、より開かれた形で連携する。そのような環境が、研究成果を社会へ届けるための土台になる。

「アカデミアと企業が、いかにコラボレーションするかが大切だと思います。企業側も、アカデミア側も、互いにもう少し近づいていけばいいのかなと思っています。企業が持っている資金の規模は全然違うと思うので、アカデミアに投資できる体制や、互いにもっとオープンに関われる環境があるといいなと思います。」

企業の資金力や開発ノウハウと、アカデミアの研究力や独自の発想。その両者が健全な対話を重ねながら協働できれば、基礎研究の成果を社会実装へつなぐ道は、より確かなものになるだろう。


結語

取材の最後、I氏は次世代の研究者に向けて、海外に目を向けることの大切さを語った。

「一人の人として、海外を見てきてほしいですね。日本だけじゃ体験できないことがたくさんあります。いろんな人がいるっていうのを知ってほしいなと思います。」

フィンランドとボストンでの経験は、I氏に、研究を支える仕組みの違いだけでなく、多様な価値観を持つ人々と働くことの楽しさと難しさを教えた。研究が特別な仕事ではなく、社会や生活の中に根づくものとして存在する姿も、そこで目にした。

そして、創薬研究は、自分を含め、今、薬を必要としている人のためにある。

「創薬研究は、自分を含め、今、薬を必要としている人のためにやっていることです。だからこそ、実験データには真剣に向き合い、周りの意見を聞いてほしいと思います。自分のためだけではなく、周りのためにやっているんだということは、分かってほしいです。」

研究は、個人の関心や成果のためだけに行うものではない。患者、共同研究者、次世代の研究者、そして社会に関わるものである。自分とは異なる意見に耳を傾け、研究が誰のためにあるのかを問い続ける姿勢も、研究者として成長するための重要な要素なのだろう。

I氏が見据えるのは、アカデミアで生まれた研究成果が、より着実に社会実装へ結びつく研究開発のあり方である。

「私としては、アカデミアでやっていることが、もっと社会実装されればいいなと思います。せっかく、一生懸命研究し、たくさんの公的資金も投入されているので、もっと研究の世界が開かれてほしいなと。次の世代にも、楽しく研究ができる環境を作り続けたいと思っています。」

中学生のとき、白血病の子どもたちとの出会いから始まったI氏の研究者としての歩み。その根底にあるのは、「がんを治したい」という思いと、わからなかったことがわかる瞬間への純粋な喜びである。

新しい職場で、I氏は再び血液がんの創薬研究に取り組む。抗体や核酸を用いた治療薬開発を通じて、研究成果を患者へ届ける道を模索していく。

企業とアカデミアの間を行き来し、時に逡巡しながらも、「研究が好き」という原点に立ち返り続けるI氏。その歩みは、研究者としてのキャリアに悩む人々に、静かな勇気を与えてくれるはずだ。